「ありのまま在る」という神聖さ

動物、草花、木々を観察してみると、それらがいかに、「大いなる存在」のなかで安らいでいるかを感じ取れます。それらはみな、ありのままで在ります。類まれな威厳、純真さ、神聖さを備えています。

植物が発している静止と平和のエネルギーに気づいた瞬間、植物はわたしたちの教師になってくれます。けれども、 それを感じとるには、 「名前による認識」 「レッテル貼り」 という思考の習性を超越しなければなりません。

この習性を超えて自然を見ることができた瞬間、思考では理解の及ばない、 五感を通して知覚することのできない、 そして筆舌に尽くしがたい自然界の次元が、あなたの眼前に繰り広げられるのです。それは私たち自身の中にもあまねく存在するスピリチュアルです。そして手放すワーク。

スピリチュアル業界には、感情を手放すためのワークがあります。具体的にいうと、怒りや不安などのネガティブ感情を手放して、愛や感謝、光に変えていくというものです。人は誰しも生きていればいいこともそうでないことも起こりうるものです。その時分にとってよくないことが起こり、誰かに傷つけられたとしても、それが必要な学びであったと気づかなければならないのです。 

そうはいってもなかなか受けた傷を癒し、怒りを手放すことは難しいでしょう。ただ、やはりつらい経験が魂を磨くと考えたいもの。

渦中にいるときは何も見えないが、怒りを手放せたとき、すがすがしい景色が待っていることには間違いないでしょう。